またコメントレス

お二人ともこんな話題にお付き合いいただいて申し訳ないっすw

継体帝が別王朝ってのはもはや定説っすねw
ただ言い方に語弊があって、常識的に考えるとそのころはまだ王朝という概念もありませんでしたし、大和朝廷も一有力豪族でしかなかったわけで、北陸から来た豪族に滅ぼされたと考えるべきでしょう。それ以前についても色々な豪族を征服していく過程の中で、それらの話を統合して一つの一族の話に無理矢理ねじ込んだのが古事記日本書紀と考えるのが自然です。

他にも南北朝は王朝の交代だって説もありますよね。
実は明治政府は南朝を正当な皇統だと認定していて、楠木正成なんかを顕彰しているわけです。その点から言えば北朝の末裔である明治天皇は正当な皇統にならないわけですが。この点はどう理屈つけていたんだっけなあ?忘れたや・・・。
だからといって明治天皇別人説はどうかと思いますがw

んでまあ、伝統って言うのは結局物差しの問題なんですよ。「万世一系」という名前の「男系」で考えると確かにとぎれるかもしれませんが、他の物差しもたくさんあるわけで。
例えば「一般人から天皇に嫁入りさせない」という物差しは美智子さんの時に崩れているわけです。
他にも「一度皇族を離れた人間が皇族に復帰して天皇になる」という例外が宇多天皇ですが、その時陽成上皇は「当代は家人にはあらずや」(今の天皇は家来じゃないか)って皮肉ってます。ここでも物差しが一つ壊れているわけですよ。
結局、物差しを探す作業なんですよね、歴史学って。その中で「万世一系」が絶対的な物差しかどうかを疑う事からこの問題は始めないといかんのです。