ヲタ芸論争

すでに本人は収束宣言されておられるようだし、出遅れ気味感満載ですが・・・・

ここ数日、「ヲタ芸」に対する論争が起きていたようで。
ヲタ芸って悪ですかね?というまとめサイトも作られています。

そもそもの事の発端ははてなのキーワードで「ヲタ芸」関係がことごとく削除された事のようで。それに対してhttp://d.hatena.ne.jp/tongsang/20050711/1121097524と問題提起された事が直接の要因の様ですが、この件については2つ問題があるんですよね。問題提起されたtongsangさんがそのうちの一方をまず前面に押し出されたのがそもそもの混乱の原因なのかなぁとも思います。

その一方というのは単刀直入に「ヲタ芸は悪か」という事ですね。
これに関しては参加する一人一人に意見があるだろうし、たぶん正解なんて無いんじゃないかなぁと思います。

自分自身、結構身勝手なもので、ヲタ芸を否定している時もあれば自分もやってる時もあるんですよね。そもそもPPPHOAD、ロマンス、マワリ等々ヲタ芸と一口に言っても多種多様でして、ヲタ芸の悪を主張したときにその定義がすべてに適用されるのか、もしくはそれらの中には許容されるものがあるのか、それらのヲタ芸を排除したときに問題点は無いのか、それら一つ一つをすべてクリアすることはおそらく無理でしょうね。

誰だったか声優さんがPPPHを嫌がってライブで公式にしないでくれと言った事があるって聞いた事あります。演ずる側がそのようなメッセージを発信したら従わざるを得ませんね。そうなったらファンを辞める人たちもいるでしょうが、それは止める事によって得られるものと失うもののどちらに視点を置くかの問題でしかないですね。

今のところは「周りに直接の迷惑をかけない」事を最低限のモラルとして、『「周りに直接の迷惑をかけない」最低限のモラル』とは何かをそれぞれが自問自答するしかないでしょうね。


それよりも問題は3日目に明確に提起された事です。

僕自身、はてなを使い始めてまだ数ヶ月だし、キーワードを直接書いた事は無い(一度だけ誤字を直した事はありますが)ので詳しい仕組みや手順を知っているわけではないのですが、これはヲタ芸云々ではなく、はてなダイアリーの運営に関わる問題だと思います。

つまり、tongsangさんの説明によれば、当初「ヲタ芸」とその関連項目がごっそり削除され、削除→復活を繰り返した後、批判的見解の一文を入れる事で収束をはかられた。しかし、それと同時に必要な解説も残されなかったという経緯になるわけですね。

僕は大学で歴史学を勉強し、今も歴史に関わる仕事をしているからか、この一連の動きに対しては疑問を持たざるを得ません。tongsangさんが主張しておられるように、キーワードとしての役割を果たしていないのではないでしょうか。

ヲタ芸と同列で扱ってしまうのも気が引けますが(笑)、例えば南京大虐殺事件について様々な立場から未だに激しい論争が繰り広げられています。
この件に関して、はてなwikiの解説は比較的中立性を保とうと努力していると思います。(wikiが「保護」されている点に大変さがにじみ出ていますが(^^;;;)


元来、「歴史は物語である」と言われてきました。僕が大学に入った時、「歴史学概論」という授業で一番最初に習った言葉です。

本来は、「歴史というのはそもそもある立場に立った人間が残した記録であるである地点で中立性が損なわれている。歴史学者はその点に留意しなければいけない」という意味であると僕は理解しています。

例えば、「1600年、関ヶ原の戦い徳川家康石田三成に勝った」といえば「史実」と思われがちですが、それはあくまで徳川家康の視点に立ったものの言い方で、その地点で勝者の歴史になるわけです。

また、江戸時代は「徳川家康征夷大将軍になって江戸幕府を開いてから徳川慶喜大政奉還して江戸幕府が崩壊するまで」なのですが、それはあくまで「徳川氏」という歴史上の勝者を軸とした歴史区分なわけです。極端な話、当時の農民にとっては支配者の違いは大きな問題ではないかもしれません。それこそ、使っていた道具によって生活が一変したのだから、「千歯こき時代」なんて言い方をした方が彼らの実態にはあっている可能性もあるわけです。

つまり、歴史というものは記録された地点、それを語る地点で何らかの立場に依拠するものであり、決して完全に中立の立場に立っているわけではないのです。

だからといって、それに甘えてどちらか一方の立場に思いっきり身を預けてしまっても良いものではありません。「歴史は物語である」とは、あくまで「歴史は物語である事を自覚して、注意しなければいけない。」という戒めの言葉なのです。(藤岡信勝らの自由主義史観グループはその点で明らかに意図的誤用をしているといわざるを得ません)

まぁ、これはあくまで歴史学者の立場を言った話であり、個人がブログで意見を言ったりするのはもちろん公共良俗に反しない範囲で自分の思うところを言いたい放題しちゃったら良いと思います(笑)が、辞書的ツールについては上記考えに準ずるべきだと思います。

その点で、はてな南京大虐殺のキーワードはまず「1937年12月から1938年初頭にかけて、日中戦争の南京占領時に、中国の南京で日本軍が起こしたとされる虐殺事件。」という事件の説明をした上で、「その数は、数人以下から30万人以上まで諸説ある。」と続ける事で、諸説ある事を述べています。wikiについても「南京大虐殺」と「南京大虐殺論争」をわけて扱う事で中立性を保持しようとしています。

もちろん、それでも完全に中立性が維持されてるかどうかは別の話というか、不可能でして、例えばはてなは「なお、当時の南京の人口は30万前後と言われている。」という一文を入れる事で暗に数百万人説を否定しているわけですね。(これについてもwikiは肯定派の論を説明しています)

で、やっと話が帰ってきます(爆)が、「その記述の替わりに本来キーワードに必要な解説部分がごっそり消されてしまっている件。」という指摘が事実であるならば、キーワードとしての意味を成しておらず、問題と言わざるを得ません。

そもそも、辞書というツールは便利ですが、それが必ずしも間違っていないという保証はありません。誰かの手によって編集され、記述されている地点で何かしらの立場に準拠しているはずという事は述べました。それでも辞書や辞典が重宝されるのはそこから調べる事が出来るからです。

例えば「ヲタ芸」の項目にどんな記述がありそれが削除されたのか、僕は覚えていませんのでなんとも言えませんが、現在の項目よりも削除された文章の方がより一層「ヲタ芸」というものを詳細に述べ、その実体を明らかにする可能性があるのなら、「ヲタ芸は悪である」という一方的視点から編集・削除するのは編集権の逸脱ではないでしょうかねぇ。


まぁ、歴史学者の立場から言えばtongsangさんの記述と現行のキーワードからしか述べておらず、削除された文章を読んだり、削除の経緯について自分で調べ直してからでないと僕の上記の考えもtongsangさん的立場に沿ったものであり、著しく中立性が欠けていると指摘されるべきものなのですがw